2014年12月12日星期五
東口順昭
東口 順昭(ひがしぐち まさあき、1986年5月12日 - )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはGK。日本代表。
来歴[編集]
7歳から大阪でサッカーを始め、芝谷中学校時代はガンバ大阪ジュニアユースでプレーしていたが、身長が低いこと(当時は170cm以下と小柄だった)などの理由からユースへの昇格は見送られ、京都の洛南高校を経て福井工業大学に進学。しかし、2年時にサッカー部が解散したため、新潟経営大学に転入。2007年にはユニバーシアード代表に選出され、2008年はデンソーカップを受賞するなど徐々に頭角を現し、アルビレックス新潟の特別指定選手に登録された。
プロ入りに際しては古巣のG大阪からもオファーが来たが、大学卒業後は自ら「サッカー人生の転機になった」と語る新潟に入団。6月7日にナビスコ杯予選リーグ第6節サンフレッチェ広島戦にて公式戦デビューを果たしたが、5失点を喫した。
2010年は黒河貴矢、高木貴弘に次ぐ第3GKと目されていたが、高木が開幕前に負傷離脱し、黒河もJ1第2節ジュビロ磐田戦で負傷退場したため、急きょ途中出場しJリーグデビューを果たした。試合は1-0とリードした場面で同点ゴールを決められるというほろ苦いものであった(試合は1-1のまま終了)。その後はレギュラーの座を譲らなかったが、J1第14節ベガルタ仙台戦で左眼窩壁骨折および鼻骨骨折の全治3ヶ月の重傷を負い一時戦列を離れた。怪我から復帰するとレギュラーに返り咲き、最終的にリーグ戦25試合に出場。AFCアジアカップ2011の日本代表予備登録メンバーにも選出されるなど飛躍の1年となった。
2011年はプロ入り後初めて開幕スタメン入りを果たすなどレギュラーの座を譲らず、3月29日には「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」の日本代表メンバーに選出。川島永嗣、西川周作に次いで出場し、国際AマッチではないがA代表デビューを果たす。出場時間帯にJリーグ選抜のFW三浦知良にスーパーゴールを決められた[1]。この年行われたキリンカップの日本代表メンバーにも選出されたが、8月28日に行われたサマーフェスタ2011のリラックスゲームで右ひざ前十字靭帯損傷、全治8ヶ月の重傷を負い[2]、急きょ移籍加入した武田洋平を登録するため、9月9日付けで選手登録を抹消された[3]。
2012年はリハビリからのスタートとなったが、4月4日のナビスコ杯予選リーグ第2節清水エスパルス戦で約7ヶ月ぶりに先発復帰を果たした。また、7月21日に行われた東日本大震災復興支援 2012JリーグスペシャルマッチのJリーグ選抜メンバーに選出[4]。前半45分間に出場し、Jリーグ TEAM AS ONEの元イタリア代表FWアレッサンドロ・デル・ピエロと対戦した。チームが得点力不足で苦しむ中でも安定した守りで鼓舞していたが、10月13日のザスパ草津U-23とのトレーニングマッチで負傷。右ひざ前十字靭帯再断裂ならびに内側側副靭帯損傷で全治8ヶ月となり、2年連続での長期離脱となった[5]。
2013年7月6日のJ1第14節柏レイソル戦で、約9カ月ぶりに公式戦復帰を果たした。復帰以降は守護神として後半戦を首位で乗り切ったチームを支え、第33節横浜F・マリノス戦では好セーブを連発し、マリノスのリーグ優勝を阻止する活躍を見せた。
2013年12月16日、ガンバ大阪へ完全移籍[6][7]。ジュニアユース時代を過ごしたガンバへ13年ぶりに復帰となった。
2014年11月、約3年ぶりに日本代表に復帰した。
人物・エピソード[編集]
憧れのスポーツ選手はイチロー。ゴールキーパーだとジャンルイジ・ブッフォンがお気に入り。
ガンバ大阪ジュニアユース時代の同期には本田圭佑や家長昭博、松岡康暢、金正訓、渡部学らがいる。東口は本田と同じようにガンバ大阪ユースへの昇格が叶わなかった後、一念発起して他県の高校へ進学し、Jリーグ入りを果たした。
後に古巣であるガンバ大阪に移籍し、正GKを獲得した。
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