2015年1月12日星期一

東武伊勢崎線

伊勢崎線(いせさきせん)は、東京都台東区の浅草駅から群馬県伊勢崎市の伊勢崎駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。2012年3月17日より、浅草駅 - 東武動物公園駅間・押上駅 - 曳舟駅間には「東武スカイツリーライン」という愛称がつけられた[1][2]。 概要[編集] 東武鉄道として最初に開業した北千住 - 久喜間を含む創業路線で、東京都区部東部の浅草駅から埼玉県東部を経て両毛地域を結ぶ。もともと同区間は日光街道の沿線であり、杉戸駅(現在の東武動物公園駅) - 東武日光駅間を結ぶ東武日光線の完成後は日光線の一部区間としての機能も担っている。日光線や東上線とともに東武鉄道の基幹路線であり、関東地方における主要幹線の一つである。ラインカラーについては、東武スカイツリーライン区間が青、東武動物公園駅以西が赤となっており、各駅の駅名標には浅草駅 - 東武動物公園駅間がオレンジと青(■■;東武スカイツリーラインのラインカラー)、東武動物公園駅 - 伊勢崎駅間が赤と黒(■■;伊勢崎線ラインカラー)が使われている。なお、押上駅は東京地下鉄(東京メトロ)の管理駅のため、東武鉄道のラインカラーは駅番号のシンボルマークにとどまっている。 東京地下鉄(東京メトロ)日比谷線・半蔵門線と東京急行電鉄田園都市線との相互直通運転を行っている。 浅草 - 北千住間は隅田川に、北千住 - 東武動物公園間は国道4号(日光街道)にほぼ並行している。大正期の荒川放水路開削によって、北千住 - 西新井間は葛飾区小菅をかすめるルートに付け替えられた。浅草 - 北千住間は曲線半径の小さいカーブ区間が多いため優等列車でも速度規制がかかり、さらに浅草駅は基本的に6両編成(例外として1番線のみ8両編成、ただし曳舟方7・8号車はドアカット)以下の列車しか入線できないため、特に通勤輸送では列車本数や編成長が制限されてきた。しかし、2003年に半蔵門線との直通運転を開始し、2012年に東京スカイツリータウンが開業した事に伴い、この区間の重要性は向上している。 北千住 - 北越谷間はJR以外の日本の鉄道では最長の複々線区間が続き、緩急分離による高密度運転と優等列車の高速運転が可能である。また、沿線から北千住駅までを利用して、その先は他社線に乗り換えて東京都心部へ向かう乗客も多いため、同駅を境にした輸送量の段差が生じている。複々線区間で緩急双方にホームがあるのは西新井駅、草加駅、新越谷駅、越谷駅の4駅のみである。 北千住 - 館林間は関東平野の直中で直線区間が多く線路条件に恵まれている。一方、同区間を走行する列車の種別・行先・使用車種は多岐に亘りこれらが高頻度で運行されるため、ダイヤグラムには余裕時分が多めに盛られており、長距離列車の遅延やそれによる他列車への影響を極力防ぐダイヤとなっている。 西新井駅では大師線、新越谷駅では東日本旅客鉄道(JR東日本)の武蔵野線、春日部駅では野田線、久喜駅ではJR東日本の宇都宮線(東北本線)と接続する。東武動物公園駅は、東武日光線との分岐駅である。久喜駅は東京メトロ半蔵門線との相互直通乗り入れ区間の終端となる。南栗橋駅(日光線)は、東京メトロ日比谷線との相互直通乗り入れ区間の終端であり、かつ、東京メトロ半蔵門線との相互直通乗り入れ区間の終端ともなっている。かつての浅草駅発着の準急は館林以北・新栃木駅以北着発の長距離列車が多数存在していたが、2006年3月以降、浅草駅・半蔵門線方面からそれらの駅まで直通するのは特急、快速・区間快速(新栃木方面発着)、ラッシュ時の区間急行、土休日の区間準急(館林方面発着)等のみとなったため、日中を中心に久喜駅や南栗橋駅での乗り継ぎが必要となる場合が多い。 久喜 - 太田間では国道122号にほぼ並行している。羽生駅では秩父鉄道秩父本線と、館林駅では佐野線・小泉線と、太田駅では桐生線・小泉線と、そして伊勢崎駅でJR両毛線と接続する。館林 - 伊勢崎間は単線区間となっているが、東武和泉駅をのぞく各駅で上下列車の交換が可能となっている。また、この単線区間では簡易委託駅が存在し、太田 - 伊勢崎間で導入されたワンマン運転と共に合理化施策が実施されている。 館林 - 太田間においては、1994年10月に沿線自治体が「東武鉄道複線化促進期成同盟会」を結成し、毎年複線化の要望を行ってきた。2006年9月に東武鉄道は上毛新聞の取材に対して、10年間で3割近く利用者が減少しており、複線化は実現の見通しがないことを明らかにした。また、同区間では小泉線経由の方が距離が短いが(伊勢崎線経由は20.1km、小泉線経由の実キロは16.2km)、両駅間を結ぶ直通列車の運行は伊勢崎線経由に限られ、営業キロ数も伊勢崎線に合わせる形で小泉線が割増されている。 1962年5月31日には、北千住駅から東京メトロ日比谷線との相互直通運転を開始した。2003年3月19日には曳舟駅から分岐して押上駅までの連絡線が完成し、東京メトロ半蔵門線との相互直通運転を開始した。連絡線は正式には伊勢崎線業平橋(現・とうきょうスカイツリー) - 曳舟間の別線(伊勢崎線の複々線部分)という扱いで建設され、とうきょうスカイツリー駅と押上駅は運賃計算上同一駅の扱いとなっている。 日比谷線・半蔵門線の2ルートによる地下鉄との相互直通運転が開始され、2006年3月18日からは半蔵門線直通列車が大増発された。その結果、現在では、北千住 - 東武動物公園間の運行本数の80%強が浅草駅に向かわない地下鉄直通列車で占められるまでになった。東向島 - 牛田間の各駅は半蔵門線に直通するすべての列車が通過するため、浅草 - 北千住間を折り返し運転する各駅停車(同区間を各駅に停車する区間急行・区間準急を含む)が曳舟で半蔵門線直通列車に接続することで半蔵門線方面への利便性を保っている。 参考 浅草駅伊勢崎線平日下り時刻表 北千住駅伊勢崎線平日下り時刻表 路線データ[編集] 路線距離:114.5km 旧国鉄・JRおよびこれらから継承された第三セクター鉄道をのぞけば一路線の営業キロとして日本最長。これに近鉄大阪線の108.9kmが続いており、全線が複線以上の路線としては近鉄大阪線が最長となる。 軌間:1067mm 複線区間(合計54.4km): 浅草 - とうきょうスカイツリー間 曳舟 - 北千住間 北越谷 - 館林間 複々線区間(合計20.2km): とうきょうスカイツリー(押上) - 曳舟間 (1.3km) 押上 - 曳舟間はとうきょうスカイツリー - 曳舟間の線増扱いで建設された(京王新線と同じ) 北千住 - 北越谷間 (18.9km) JR以外の日本の鉄道路線では最長の複々線区間。内側が緩行線、外側が急行線(区間準急以上の種別)として運用されている。 単線区間:館林 - 伊勢崎間 (39.9km) 電化区間:全線電化(直流1500V) 閉塞方式:自動閉塞式 保安装置:TSP(東武形ATS) 最高速度:120km/h(100系使用の特急。200系・300系は110km/h)、105km/h(快速・区間快速)、100km/h(浅草 - 館林間は2003年3月19日、館林 - 伊勢崎間は2006年3月18日以降。現在の種別では急行以下が該当) 最長編成及びホーム有効長(20m車) 10両:押上・曳舟(1 - 4番線) - 北千住(1階ホーム1 - 4番線)間・西新井・草加・新越谷 - 館林(2・5番線)間(東向島 - 牛田間は半蔵門線直通車は通過のため通常ダイヤでは8両編成まで、春日部は1 - 4番線) 8両:浅草(1番線)・とうきょうスカイツリー・北千住(3階ホーム5 - 7番線・18m車)・小菅 - 梅島間・竹ノ塚 - 谷塚間・松原団地 - 蒲生間 6両:浅草(2 - 5番線)・北千住(特急専用ホーム)・春日部(7・8番線:野田線ホーム)・館林(3番線) - 伊勢崎間(太田は1 - 4番線、太田 - 伊勢崎間はワンマン運転のため、特急りょうもう以外は800系よる3両編成で運転) 4両:館林(1番線:佐野線ホーム、以前は4両編成での運転であったが、現在は3両編成で運転) 3両:太田(7 - 10番線:ワンマン運転ホーム) 2両:曳舟(5番線:亀戸線ホーム)・西新井(1・2番線:大師線ホーム)・館林(4番線:小泉線ホーム)・太田(5・6番線:桐生線、小泉線ホーム) ちなみに、1990年から2003年までとうきょうスカイツリー駅(当時は業平橋駅)にあった地上ホーム(3 - 5番線)は10両対応だった。このホームの跡地に東京スカイツリーが建設された。 歴史[編集] 明治[編集] 当路線は1899年(明治32年)に北千住 - 久喜間を開業したことに端を発する。開業当初は、2時間間隔で1日7往復の旅客・貨物混合列車の運転だった。その後も北へ路線を延伸し、1903年(明治36年)に利根川の南岸に位置していた川俣駅(足利町駅への延伸により北岸に移転)まで開業したが、この当時、東武鉄道は経営難に陥っていた。その後、1905年(明治38年)に根津嘉一郎が東武鉄道の社長に就任した後は、彼の経営手腕によって利根川を架橋することが断行され、1907年(明治40年)に足利町駅(現・足利市駅)まで開業した。これ以降は貨物輸送によって経営難から逃れ、1910年(明治43年)に伊勢崎駅までの全線開業に辿り着いた。 一方で都心側のターミナル駅選定には難航し、1902年(明治35年)に吾妻橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)へ延伸したものの、亀戸線が開業し、総武鉄道両国橋駅(現・両国駅)への乗り入れを果たした1904年(明治37年)に曳舟 - 吾妻橋間を廃止した。これによって一時は両国橋駅がターミナル駅となったが、1907年(明治40年)に総武鉄道が国有化されると状況は急変し、東武鉄道は自社のターミナル駅を保有することを迫られた。そこで、廃止していた曳舟 - 吾妻橋間を1908年(明治41年)に再開業し、1910年(明治43年)に吾妻橋駅を浅草駅に改称した。これが、伊勢崎線の駅で初めての駅名改称となる。 1899年(明治32年) 8月27日 北千住 - 久喜間開業。開業時の途中駅は西新井駅、草加駅、越ヶ谷駅(現・北越谷駅)、粕壁駅(現・春日部駅)、杉戸駅(現・東武動物公園駅)[3]。 12月20日 蒲生駅、新田駅、武里駅、和戸駅開業[4]。 1900年(明治33年)3月21日 竹ノ塚駅開業[5]。 1902年(明治35年) 4月1日 吾妻橋(現・とうきょうスカイツリー) - 北千住間開業[6]。 9月6日 久喜 - 加須間開業[7]。 1903年(明治36年) 4月23日 加須 - 川俣間開業[8]。当時の川俣駅は利根川南岸にあった。 9月13日 須影駅(現・南羽生駅)開業[9]。 1904年(明治37年)4月5日 曳舟 - 亀戸間(現亀戸線)開業により、総武鉄道(現・JR総武本線)両国橋駅(現・両国駅)まで直通運転開始。吾妻橋 - 曳舟間廃止。 1905年(明治38年)7月16日 白鬚駅(現・東向島駅)、堀切駅休止。 1907年(明治40年)8月27日 川俣 - 足利町(現・足利市)間開業、川俣駅移転。 1908年(明治41年) 3月1日 吾妻橋 - 曳舟間が貨物線として再開業。 4月4日 休止中の白鬚駅、堀切駅廃止。 8月15日 須影駅廃止。 12月2日 新田駅廃止。 12月25日 蒲生駅を南に1.2km移転。 1909年(明治42年)2月17日 足利町 - 太田間開業。 1910年(明治43年) 3月1日 吾妻橋駅を浅草駅に改称。 3月27日 太田 - 新伊勢崎間開業。浅草(現・とうきょうスカイツリー) - 曳舟間旅客営業開始。総武本線亀戸 - 両国橋間への乗り入れ廃止。 7月13日 新伊勢崎 - 伊勢崎間開業(伊勢崎線全通)。 1912年(明治45年) 2月13日 浅草 - 鐘ヶ淵間複線化。 7月3日 北千住 - 西新井間複線化。 大正[編集] 大正に入ると、輸送量の増加により都心側の随所で複線化、および電化が行われるようになった。1912年(明治45年)に浅草 - 鐘ヶ淵間が複線化されたのを皮切りに、1920年(大正9年)には東京市内の全区間が、1922年(大正11年)には北千住 - 久喜間が複線化された。また、1924年(大正13年)に浅草 - 西新井間が電化されたことを機に、東武鉄道初の電車としてデハ1形が製造、運行された。 1923年(大正12年)には荒川放水路の工事により、鐘ヶ淵 - 西新井間の線形が変更された。この線形変更に際し、北千住 - 西新井間は開業当初のルートよりも北方に線形を取り、北千住 - 小菅間で荒川を架橋することとなった。堀切 - 鐘ヶ淵間は直線になって区間距離が短縮されたものの、両駅の構内で急カーブを生じるようになった。なお、鐘ヶ淵付近の旧線は荒川放水路の中となっているため痕跡は残っていないが、西新井駅付近は西新井工場の構内線路に流用され、小菅付近 - 西新井の旧線は大部分が道路に転用された。そのため、梅島駅の南方(梅田六丁目付近)には「東武鉄道旧線路跡」の碑がある。 1912年(大正元年)12月18日 鐘ヶ淵 - 北千住間複線化。 1918年(大正7年)3月27日 全線を軽便鉄道法による軽便鉄道に指定[10]。 1919年(大正8年)11月20日 越ヶ谷駅を武州大沢駅に改称[11]。 1920年(大正9年) 3月5日 西新井 - 草加間複線化。 4月17日 越ヶ谷駅開業[12]。 12月26日 杉戸(現・東武動物公園) - 久喜間複線化。 1921年(大正10年) 4月16日 武里 - 杉戸間複線化。 10月20日 草加 - 越ヶ谷(現・越谷)間、武州大沢(現・北越谷) - 武里間複線化。 1922年(大正11年)5月1日 越ヶ谷 - 武州大沢間複線化。 1923年(大正12年)7月1日 荒川放水路開削により鐘ヶ淵 - 西新井間でルートを変更[13]。それまでは鐘ヶ淵 - 牛田間は現ルートより東側を、北千住 - 西新井間は現ルートより西側を通っていた。 1924年(大正13年) 8月25日 足利町駅を足利市駅に改称[14]。 10月1日 浅草 - 西新井間電化。白鬚駅が玉ノ井駅(現・東向島駅)として再開業。堀切駅、千住駅(後の中千住駅)、小菅駅、五反野駅、梅島駅開業。 1925年(大正14年) 7月20日 野州山辺駅開業。 10月1日 西新井 - 越ヶ谷間電化。谷塚駅開業。 11月10日 新田駅開業。 1926年(大正15年) 6月6日 川俣 - 館林間複線化。 10月1日 越ヶ谷 - 粕壁(現・春日部)間電化。大袋駅、一ノ割駅開業[15]。 12月16日 粕壁 - 久喜間電化。 昭和[編集] 昭和に入ると、当時としては東京一の繁華街であった浅草への乗り入れで京成押上線と競合し、京成電気軌道(現・京成電鉄)と激しく争った。その結果、京成は1928年に京成電車疑獄事件が起きて乗り入れを断念し、当路線が1931年(昭和6年)に浅草雷門駅(現・浅草駅)への乗り入れを果たした。 しかし、戦後の復興によって都市機能の拠点が山手線上に分布していくと、山手線と接続しない当路線は沿線開発で不利な状況に追い込まれた。1955年(昭和30年)頃には北千住から新橋や東京八重洲を結ぶ地下鉄道建設を運輸省(現・国土交通省)へ数回に渡って出願した。だが、それらの出願はすべて却下され、東京都を走る大手私鉄の基幹路線でありながら、当路線は唯一山手線に接続できなかった。 そのような中で、当路線は1962年(昭和37年)に北千住駅を介して営団地下鉄日比谷線(現・東京メトロ日比谷線)との直通運転を開始した。東京の地下鉄と郊外電車で直通運転を開始したのは、京成押上線・都営地下鉄浅草線の直通運転に次いで2例目であった。日比谷線との直通運転により北千住 - 浅草間の利用客が激減し、一時的な減収は避けられなかったものの、それを上回る勢いで沿線開発が進み、利用客が瞬く間に増加していった。マンモス団地と謳われた草加松原団地や武里団地などの入居が開始されたのも、当路線が日比谷線との直通運転を果たした直後である。1966年(昭和41年)には乗り入れ区間が北春日部駅まで延長され、日比谷線直通列車が6両編成になった。さらに1981年(昭和56年)には東武動物公園駅まで延長され、同年に開園した東武動物公園の宣伝にも一役買った。 沿線開発が進むにつれてラッシュ時は激しく混雑するようになり、特に北千住駅では準急列車と日比谷線との乗換客の列でホームが埋め尽くされる事もあった。1969年(昭和44年)度の秋季交通量調査では、朝ラッシュの最混雑区間である小菅 → 北千住間の混雑率は248%を記録し、当該年度では大手私鉄の路線で最高値を計上した[16]。輸送量を増強すべく、1971年(昭和46年)には日比谷線直通列車が8両編成になり、1972年(昭和47年)には地上車の8両編成が営業運転を開始したものの、これ以上の長編成化は浅草駅の制約により困難であった。当時の朝ラッシュ時の上りダイヤはせんげん台駅から北千住駅が平行ダイヤで、増発の余地もなかった。10両編成の列車が営業運転を開始したのは1986年(昭和61年)であり、これは東武鉄道の主要幹線の一つである東上本線と比較しても10年ほど遅い時期である。 そこで運転本数の増加に努めるべく、1974年(昭和49年)に関東私鉄初の複々線が北千住 - 竹ノ塚間で竣工し、供用を開始した。同区間ではラッシュ時の本数が大幅に増加しただけでなく、準急のスピードアップにも貢献した。複々線は1988年(昭和63年)に草加駅まで延ばされ、その際のダイヤ改正で日中の準急が毎時6本に増発された。 1927年(昭和2年) 4月1日 久喜 - 羽生間複線化。久喜 - 館林間電化。花崎駅、須影駅(再開業)、茂林寺前駅開業。 9月1日 姫宮駅開業。 10月1日 館林 - 伊勢崎間電化、全線(浅草 - 伊勢崎間)電化完成。細谷駅、世良田駅開業。 1928年(昭和3年)5月1日 県駅開業。 1930年(昭和5年)2月28日 千住駅を中千住駅に改称。 1931年(昭和6年) 3月13日 草加荷扱所(草加 - 新田間)開業。 5月25日 浅草雷門(現・浅草) - 業平橋(現・とうきょうスカイツリー)間開業[17]。同時に浅草駅を業平橋駅に改称。 6月1日 請地駅(業平橋 - 曳舟間)開業。 1932年(昭和7年) 4月17日 競馬場前駅(臨時駅、野州山辺 - 韮川間)開業。 9月1日 牛田駅開業。 10月25日 韮川駅開業。 1935年(昭和10年) 9月20日 東武和泉駅開業。 11月1日 千住線 中千住 - 千住間開業。 1937年(昭和12年)4月1日 中野駅を多々良駅に改称。 1939年(昭和14年)2月1日 競馬場前駅廃止。 1943年(昭和18年)12月31日 隅田公園駅(浅草雷門 - 業平橋間)休止。 1945年(昭和20年) 4月15日 中千住駅休止。 5月20日 玉ノ井駅休止。 10月1日 浅草雷門駅を浅草駅に改称。 1946年(昭和21年)9月11日 請地駅休止。 1949年(昭和24年) 9月1日 粕壁駅を春日部駅に改称。 10月1日 玉ノ井駅営業再開。 10月20日 休止中の請地駅廃止。 1953年(昭和28年)4月1日 中千住駅(牛田 - 北千住間)を廃止し中千住信号所とする。 1955年(昭和30年)1月1日 鷲ノ宮駅を鷲宮駅に改称。 1956年(昭和31年)12月1日 越ヶ谷駅を越谷駅に、武州大沢駅を北越谷駅に改称。 1958年(昭和33年)10月22日 休止中の隅田公園駅廃止認可。 1962年(昭和37年) 3月23日 中千住信号所を廃止し千住分岐点とする。 5月31日 北越谷駅から営団(現・東京メトロ)日比谷線人形町駅までの相互直通運転開始。 12月1日 松原団地駅開業。 1963年(昭和38年)2月28日 営団日比谷線との相互直通運転区間を東銀座駅まで延長。 1964年(昭和39年)8月29日 営団日比谷線との相互直通運転区間を中目黒駅まで延長。 1966年(昭和41年)9月1日 北春日部駅開業。同時に営団日比谷線との相互直通運転区間を同駅まで延長し、日比谷線直通列車を6両編成化。 1967年(昭和42年) 2月22日 曳舟 - 鐘ヶ淵間高架化。 4月15日 せんげん台駅開業。 1968年(昭和43年) 3月30日 五反野 - 梅島間高架化。 9月1日 須影駅を南羽生駅に改称。 1971年(昭和46年)5月31日 日比谷線直通列車を8両編成化。 1972年(昭和47年)12月18日 地上車の8両編成運転開始。 1973年(昭和48年)4月10日 草加荷扱所廃止。 1974年(昭和49年) 7月2日 北千住 - 竹ノ塚間複々線化。この区間が関東私鉄初の複々線となる。 7月23日 新越谷駅開業。 1979年(昭和54年) 8月30日 竹ノ塚 - 谷塚間の一部区間高架化。 10月31日 ダイヤ改正を実施。 1980年(昭和55年) 7月23日 東武和泉 - 韮川間高架化。 8月5日 ダイヤ改正を実施。 1981年(昭和56年)3月16日 杉戸駅を東武動物公園駅に改称。ダイヤ改正を実施し、営団日比谷線との相互直通運転区間を同駅まで延長。 1986年(昭和61年)8月26日 ダイヤ改正を実施し、曳舟 - 東武動物公園間で朝ラッシュ時に上り準急列車の10両編成運転開始。下りはホーム未延伸の関係で回送の措置がとられる。 1987年(昭和62年) 5月1日 千住線 千住分岐点 - 千住間廃止。 7月21日 ダイヤ改正を実施。 12月21日 玉ノ井駅を東向島駅に改称。 1988年(昭和63年) 8月9日 竹ノ塚 - 草加間複々線化。ダイヤ改正を以下の内容で実施。 日中の準急を毎時4本から毎時6本に増発。 日中に毎時4本運転していた浅草発着の普通を毎時2本に減便。 日中の日比谷線直通列車が毎時4本から毎時6本に増発。 11月21日 浅草う回乗車制度を導入。 12月1日 草加 - 綾瀬川(新田 - 蒲生間の橋梁)間高架化。草加市内の全踏切を除却。 平成[編集] 平成に入ると輸送人員が減少傾向に入ったが、ラッシュ時の北千住駅は乗換客により混雑を極め、依然として危険な状態が続いていた。そこで北千住駅での乗換客を減らすべく、1988年(昭和63年)に浅草う回制度が、1990年(平成2年)に押上う回乗車制度が導入された。これにより、北千住駅を経由する定期券を所持していれば、浅草駅・業平橋駅を経由しても都心に行き来できるようになった。 たが、それだけで対応しきれるようなものではなく、更なる輸送力の増加と北千住駅の抜本的改造が求められた。これが一段落したのが1997年(平成9年)であり、北千住駅の立体化と越谷駅までの複々線化が完工し、私鉄最長の複々線を持つ路線となった。複々線は2001年(平成13年)に北越谷駅まで延ばされ、その距離は18.9kmに及ぶ。これらの事業は特定都市鉄道整備事業計画に認定されたもので、総事業費は840億円であった。複々線が完成した2001年のダイヤ改正では、朝ラッシュ時における竹ノ塚 - 北千住間の上り列車で毎時45本が運行されるようになった。これは、私鉄一路線が一時間で運行される本数では最大であった。 また、2003年(平成15年)には押上駅を介して営団地下鉄半蔵門線(現・東京メトロ半蔵門線)・東急田園都市線との直通運転を開始し、10両編成の優等列車が初めて都心へ直通するようになった。この直通運転に際して曳舟 - 押上間が新規に建設されたが、正式には曳舟 - 業平橋(現・とうきょうスカイツリー)間の複々線化として扱われており、押上駅は業平橋駅と同一駅扱いとしてみなされるようになった。この事業も特定都市鉄道整備事業計画に認定されたもので、総事業費は843億円であった。それまで当路線は浅草駅の制約により編成長が制限され、輸送力は本数を増加することで賄っていたが、ここに来て初めて安定した輸送力を手に入れることができた。しかし、直通開始時は浅草駅発着の準急を基本とした旧来からのダイヤを受け継いだため、半蔵門線直通列車は少数に抑えられた。 そして、2006年(平成18年)のダイヤ改正は種別名変更が伴うほどの大規模な白紙改正となり、半蔵門線直通列車が終日に渡って増発され、ラッシュ時の輸送力も増強された。代わりに、日中の浅草駅発着の準急が廃止され、太田 - 伊勢崎間の普通列車が終日3両編成のワンマン運転になるなど、運行系統が主要駅で分断されるようになった。 しばらく大きな動きはなかったが、2013年(平成25年)のダイヤ改正で再び転機が訪れた。東急東横線と東京メトロ副都心線が直通運転を開始したことに伴い、東横線と日比谷線の直通運転が廃止された。日比谷線の車両運用に余裕が生じることになっため、日比谷線との相互直通区間が日光線南栗橋まで延長された。輸送人員や混雑率もピーク時と比較すると落ち着いてきたため、朝ラッシュ時に行っていた増解結を廃止し、運転本数も最大で毎時40本に減便された。そのため伊勢崎線の車両にも余裕が生じ、10000系の一部車両が野田線に転用された。また、太田 - 伊勢崎間で運用されていた3両のワンマン編成が、館林まで直通するようになり、太田駅を直通する普通列車が復活した。一方、この普通列車と接続する昼間の浅草方面からの普通・区間急行・区間準急列車が館林止まりとなったため、全線を直通する普通列車は依然として存在しない。 1990年(平成2年)9月25日 業平橋駅地上ホーム運用開始。押上う回乗車制度を導入。ダイヤ改正により、朝ラッシュ時運転の上り準急列車の10両編成運転区間を業平橋 - 曳舟間と東武動物公園 - 館林間に拡大。下りは回送の措置が継続される。 1991年(平成3年) 浅草駅に当路線内で初めて発車メロディが導入。曲名は「Passenger」。 12月9日 ダイヤ改正を実施し、終電車を延長。 1992年(平成4年)9月21日 羽生 - 川俣間複線化。これにより、浅草 - 館林間がすべて複線化。ダイヤ改正により、羽生折り返しの準急がすべて館林折り返しとなる。 1994年(平成6年) 8月2日 土曜日の8両・10両編成を6両編成に短縮(当時、土曜日は平日ダイヤで運行)。 11月2日 綾瀬川 - 元荒川間(越谷 - 北越谷間の橋梁)高架化。 1995年(平成7年)2月16日 ダイヤ改正を実施。 1996年(平成8年)7月23日 北千住駅の日比谷線ホームが高架化。ダイヤ改正を実施。 1997年(平成9年) 3月25日 草加 - 越谷間複々線化[18]。北千住駅が4面7線に立体化される[18]。ダイヤ改正を以下の内容で実施[18]。 準急が新越谷駅に停車[18]。 区間準急を新設[18]。 日中の浅草発着の普通を廃止。 日中の日比谷線直通列車が毎時8本に増発。 北春日部 - 大袋間の上り初電を約7分繰り上げて、北春日部5:00発とする。 業平橋 - 館林間で下り準急列車と区間準急列車の10両編成運転開始。同時に夕ラッシュ時の運転開始。 土曜日を平日ダイヤから日曜日・休日ダイヤへ変更[18]。 3月31日 浅草う回乗車制度・押上う回乗車制度を廃止。 1999年(平成11年)3月16日 ダイヤ改正を実施[19]。りょうもう号の最高速度が110km/hに向上し、種別を特急に変更[19]。 2001年(平成13年)3月28日 越谷 - 北越谷間高架複々線化[20]。ダイヤ改正を実施し、10両編成の運転を日中時間帯や土休日に拡大。 2003年(平成15年)3月19日 押上 - 曳舟間開業(正式な扱いは業平橋 - 曳舟間の複々線化完成)[21]。ダイヤ改正を以下の内容で実施。 日光線南栗橋駅から営団(現・東京メトロ)半蔵門線・東急田園都市線中央林間駅までの相互直通運転開始。 通勤準急を新設。 区間準急は曳舟 - 北千住間が通過となり、半蔵門線直通の種別に変更される。ただし深夜に設定された浅草発に限り、この区間の各駅に停車する。 準急Aが廃止され、一般列車が東武動物公園以北各駅停車で統一される。 日中の日比谷線直通列車が毎時6本に減便。 業平橋発着列車が廃止。 5000系が館林以南から撤退、浅草 - 館林間での通勤型車両による列車の最高速度が従来の95km/hから100km/hに向上。 2005年(平成17年)5月9日 女性専用車両を館林 - 押上間で導入。 2006年(平成18年)3月18日 ダイヤ改正を以下の内容で実施[22]。運転系統や種別体系が大きく変化した。 東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転区間を久喜駅まで延長[22]。 種別名を変更。浅草発着は、有料の急行が特急に、準急が区間急行になる。半蔵門線直通は、通勤準急が急行に、区間準急が準急になる[22]。 すべての区間準急が浅草 - 北千住間の各駅に停車するようになり、浅草発着の種別に変更される[22]。 区間快速を新設。日中の快速が区間快速に格下げ[22]。 日中の半蔵門線直通列車が毎時3本から毎時6本に増発[22]。 日中の浅草発着の普通が復活。 日中の浅草発着の普通・区間準急がすべて曳舟駅で急行に接続するようになる。 日中の久喜駅での分断ダイヤを開始。一般列車で同駅を跨ぐ際には対面乗り換えとなる[22]。 太田 - 伊勢崎間の普通列車でワンマン運転を開始し、3両編成に短縮。これに伴い、1日1往復の特急「りょうもう」をのぞき浅草 - 伊勢崎間直通列車が消滅。 館林 - 伊勢崎間において5000系完全撤退、全線での通勤車最高速度100km/h化。 東武動物公園 - 館林間の下り終電を約32分繰り下げて、浅草23:02発とする[22]。 2009年(平成21年)6月6日 ダイヤ改正を実施[23]。北越谷 - 北春日部間の土休日の下り最終準急列車を約20分繰り下げて、押上駅0:12発とする。一般列車の4両編成運用が廃止。 2010年(平成22年) 1月 8000系通勤型車両が太田以南のツーマン運転列車[24]から撤退[25]。 3月17日 西新井駅に当路線内の中間駅で初めて発車メロディを導入。 2011年(平成23年) 3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生。地震発生以降、東京メトロ日比谷線・東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線との相互直通運転および特急列車を含む、すべての列車が運休。 3月12日 8:50頃に全線で運転再開。 3月14日 東北地方太平洋沖地震による発電所の停止に伴う電力供給逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日から曳舟 - 押上間で運休し、東京メトロ日比谷線・東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線との相互直通運転および特急の運転が休止。 3月20日 野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線との相互直通運転が再開。 3月22日 特急スペーシア「きぬ」の運転が再開。 3月28日 東京メトロ日比谷線との相互直通運転が再開。 4月2日 曳舟 - 押上間で運転再開し、東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転が再開される。特急「りょうもう」の運転が再開される。 4月11日 東北地方太平洋沖地震の余震とみられる巨大地震が発生したため、曳舟 - 押上間で運休し、東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線との相互直通運転および特急の運転を休止。 2012年(平成24年) 3月17日 業平橋駅をとうきょうスカイツリー駅に改称。同時に、浅草・押上 - 東武動物公園間に「東武スカイツリーライン」の路線愛称を付け、伊勢崎線を含む全路線全駅に駅ナンバリングを導入[1]。ダイヤ改正を実施し、一部の特急がとうきょうスカイツリー駅に停車するようになる。 5月22日 押上駅に「スカイツリー前」の副駅名を導入[26]。 2013年(平成25年) 3月16日 ダイヤ改正を以下の内容で実施。 快速・区間快速がとうきょうスカイツリー駅に停車。 館林 - 太田間の一部列車でワンマン運転を開始。 朝ラッシュ時の区間急行を8両編成に短縮。これに伴い、館林・北千住での増解結作業と久喜 - 館林間の10両編成運用廃止。 日中の浅草 - 久喜間の区間準急を浅草 - 竹ノ塚間の普通に格下げ。 夕ラッシュ時の日光線方面の区間急行を浅草 - 東武動物公園間の区間準急に格下げ。 土休日の浅草 - 北千住間の下り終電を約14分繰り上げて、浅草0:09発とする。 東京メトロ日比谷線との相互直通運転区間を、日光線南栗橋駅まで延長。 3月26日 浅草 - 館林間の全駅に発車メロディを導入。 10月19日 新伊勢崎 - 伊勢崎間高架化。 マンハッタンパッセージ クラークス moncler ダナー north face リーガル fred perry チペワ lee

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